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陽岳寺仏前式ブログ ~いままでの、これからの『縁』に愛を誓う。~

仏教の考える幸せって?(無量壽経より)

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photo by Akuppa

2000年~2500年も昔、インドから始まった仏教。仏教の考える「幸せ」とは何なのでしょうか?
無量壽経という経典があります。
『仏説無量壽経』は日本の浄土教の根っことなる経典の一つで、『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』とともに「浄土三部経」と称されています。
そこに書いてある「仏教の考える幸せ」について、すこし学んでみましょう。

仏教の考える幸せって?(無量壽経より)

ひとはなぜ結婚に幸せを求めるのでしょうか。家庭を持ち、子どもがうまれ、大きくなり、その成長を見守ることを夢見て、目をうっすらと開け笑みをうかべるのでしょうか。
結婚や出産はなんのためにする。別にひとりでもいいではないか。結婚しない方向の幸せだってあるかもしれない。いや、あっていいはずだと。

持つものも、持たざるものも、同じように悩むことをこの経典は教えてくれます。

田んぼを持っていれば、あなたは田んぼのことを心配してしまう。家を持っていれば、あなたは家のことを心配してしまう。では田んぼを持っていないならどうか?否、田んぼを持っていないならそれはそれでモンモンと思い悩み、田んぼがあったらなぁと思ってしまうのだろう。
(有田憂田。有宅憂宅。(略)無田亦憂、欲有田。無宅亦憂、欲有宅。)

台風があると「田んぼを見に行った」まま帰ってこない農家の方のニュースがありますね。どうしても見に行かないではいられないのでしょう。プロであるからこそ。
あなたが田んぼを持っていたとしても、同じでしょう。水はどうなっているか、稲の状態は、収穫の頃合いは・・・・・・。

同じように、家があったらあったで心配です。鍵をかけたか。ガスの元栓は閉めたか。大切な家族がちゃんと帰ってきているだろうか。せっかく一軒家を建てたけれども傾いていないだろうか。地震が多いけれどもヒビは入っていないだろうか。キレイに保つためには隅々まで目を配らなければ・・・・・・。

かといって何も持たなければ、そもそも心配することもないのかというと・・・・・・こたえはNO。

結婚しようとも、しなくとも。子どもがいようとも、いなくとも。迷うものは迷う。こころはザワザワする。誰とも接せずに暮らしていく・生きていくことなどできないのですから。
なればこそ、自分の幸せを求めていくことです。他人をうらやまず、克己を考えること。そして、その幸せを同じように苦しんでいる人にどうだろうかと提案する。シェアする。
押しつけがましいことは嫌われます、かならず拒否されるでしょう。ただでさえ他人の助言というものはうざいのですから。

あなたが結婚するかしないかは、あなた自身の選ぶことです。その結果は、あなた自身の手により選んだのか、選ばされたのかは分かりませんが。ひとは、ひとつの答えとして尊重するでしょう。
 
 
さて、話をひっくりかえすようですが・・・・・・
そもそも、相手は“田んぼ”や“家”のような所有物ではありませんね。どこかで相手を自分の思い通りにならなくて悔しい、ムカつく、なぜ分かってくれないのか?と思ってはいないか。相手を信じるためにも、自分を信じることをこの経典は教えてくれているような気がします。

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